今日(R02.7.17)の新潟県魚沼地方は薄曇りの朝を迎えています。守門アメダス観測点における最低気温は18.4度。日中の最高気温は27度と予想されています。昨日は雨上がりの宵に「ネオワイズ彗星」※を探しました。魚沼地方では雲量が多く「ネオワイズ彗星」の観測は難しかったのですが、中越地方の出雲崎海岸ではこの「ネオワイズ彗星」の撮影に成功した方もいらしたようです。素晴らしいですね。
さて、前回の投稿で「江戸時代の魚沼地域における薪炭林の過剰伐採と山論」について言及しましたが、関連する古文書に「こうした薪炭林に関する山論がエスカレートして」「集落間のいがみ合いに発展し」「反道徳的な行動にまで及んだため藩が調停(仲裁)に至った経緯」が記されています。具体的には「反目する集落の住民の通行を妨害する」「商品の売買を拒否する」「薪取りに入山した住民からナタや鎌を取り上げる」などの反道徳的な行為が見られたようです。このため当時魚沼地域を治めていた糸魚川藩、あるいは会津藩が仲裁に乗り出す事態となり、「薄情な行いは好ましくないので止めるように」との趣旨でこうしたいがみ合いを鎮めたようです。
また、こうした山論が上訴され、不利に裁定されることを妨害しようとして「殺人事件に至った事例」も記されています(旧広神村史より)。
江戸時代は「里山を適切に管理していた」「野生動物を手厚く保護していた」「ツキノワグマが集落の作物を食べても村人はこれを優しく許容した」というような言説もあるようですが、江戸幕府による新田開発と蒲原平野の人口増加により、上流部に位置する魚沼地域では薪炭林の過剰伐採状態となりました。この結果、ツキノワグマは普段は里から離れた奥山(豪雪地帯である魚沼地域の場合、ブナ天然林が卓越する標高800m以上の山域)をその中心行動圏としていたようです。それでも秋になると「里のソバ畑」を荒らすツキノワグマがいたことも古文書に記されています。ツキノワグマと住民との相克は江戸時代から今に続いています。
江戸時代には集落間の薪炭林の奪い合いが山論を招き、時に殺人事件に至るほど事態は深刻でした。古文書から見ると、魚沼地域の江戸時代の里山(薪炭林)は、決してメルヘンとファンタジーに彩られたものではありません。
<参考>
大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 国立天文台
「ほしぞら情報(2020年7月) 速報ネオワイズ彗星が明るい」より
https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2020/07-topics05.html