家人がカイコを飼っているという事もあり、ある場所が「にわか養蚕所」となっています。家人によれば「天然のクワの葉」と「人工配合エサ(カイコ用)」があるそうで、人工配合エサを食べたカイコは成長がすごく早いとの事。一方で、同じカイコに「天然のクワの葉」を食べさせると「もう人工配合エサは食べたがらない」そうで、カイコはやっぱりクワ(桑)の葉が好きなんだな〜と感慨深いものがあります。
ある日の事、いつものように家人が天然のクワの葉を刈り取ってきたのですが、「新鮮なクワの葉の独特な香り」を嗅いだ瞬間、「一気に小学生時代の記憶が蘇りました(”時をかける少女”の場合は、これが”ラベンダーの香りでタイムリープ”なんですが・・)」。それは魚沼地方の伝統的な農家の庭先。日当たりの良い縁側や土間に積まれた新しいクワの葉。そしてそのクワを「さわさわ」と食べるカイコ。カイコはいわゆるカイコガの幼虫(イモムシ)ですが、大人たちが大切にしている様子から、子どもながらにも「いたずらしてはいけない大切な生き物」という印象を当時から持っていました。その集落は祖母の出身地の近くなのですが、大正時代から昭和初期にかけて、魚沼地方の若い女性(当時の祖母も)の多くは「カイコが作る繭を絹糸にする」県外の製糸工場に働きに出ていたそうです。
当時の製糸工場の様子は映画「ああ野麦峠」や「女工哀史」、「富岡製糸場」の資料などでイメージしますが、祖母が語った内容は「仕事の厳しさ」だけではなく「当時の最先端の仕事に携わる誇り」や「故郷に仕送り出来る喜び」、「職場から得られる先進的な社会性や知識」など、必ずしもマイナスイメージだけではありませんでした。もっともこれは、「当時の魚沼地域の農村社会の厳しさ」を身を以て知った上での「農村の外側にある社会の広がりと女性の生き方の変化」を意味するものです。
その祖母が語った事で印象に残っているエピソードは、「子どもの頃クレヨンが欲しくて街の文房具店に行ったが、手持ちの金額が足りなくてクレヨンが買えなかった」という話です。そんな祖母が生まれ育った「カイコを育てる魚沼の集落」。「カイコが作る繭とそこから紡ぎ出される美しい絹糸」。「厳しい労働とそれでも持ち続けた女工リーダーとしての誇り」。亡くなった祖母のタンスの底からは、おそらく戦時中からとおもわれる木綿糸や縫い針が出て来ました。物を大切に大切にしていた祖母。過剰すぎる大量消費社会に生きる私たちですが、そんな自分に「一枚のクワの葉の香り」が「祖母の教えと記憶」を呼び起こしてくれました。カイコ君、ありがとう。立派な繭になるんだよ。