〜秋は夕暮れ〜 平安時代から続く、日本列島の風景と生物の物語

〜 秋は夕暮れ 夕日の差して山の端(は) いと近う(ちこう)なりたるに 烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて 三つ四つ二つなど飛び急ぐさへ(え) あはれ(あわれ)なり。 まいて雁(かり)などの連ねたるがいと小さく見ゆるは いとおかし。 日入りはてて、風の音、虫の音(ね)など、はたいふ(いう)べきにあらず。 〜

 (枕草子・清少納言より)

 

 中学校の国語の時間に暗唱した記憶のある「平安時代(今から千年程昔)に生きた清少納言が記した枕草子」の一節ですが、日本列島では今でもほとんど変わらない「この風景(秋の段)」を見ることが出来ます。文中に登場する生き物の「カラス」「雁(かり・ガン)」「虫(鈴虫や松虫か?)」も千年後の現在の日本列島にしっかりと生息しています。

 「秋は夕暮れ」の段を自然観察的に見ると、「季節(秋)」「時間(夕暮れ・日没後)」「遠景(山の端)」「行動観察(飛び急ぐ・連ねたる)と生物種による群れの行動様式の違い(カラス=三々五々と飛び、雁=整然と隊列を組んで飛翔)」「音響(風の音・虫の音)」など、短い文章の中にも「当時の人々の多面的な観察力」が存分に発揮され、しかもこの様子を「いとおかし(たいそう趣きがあって感動的)」と情緒たっぷりに記述しています。

 自然観察は理科教育の一分野であるとする見解もありますが、美しい日本語を小さい時から音読や暗唱で学び、古(いにしえ)に生きた人の名文と感性に触れ、「その言葉の響きやリズムを身体化する(身につける)国語教育の取組み」も自然観察に繋がっていると思います。そして「清少納言が記した千年前の風景と生物」が今に残っているように、「これからの千年」についても今を生きる私たちに大きな責任があるのでは・・・と思わずにはいられません。

 

<〜枕草子・秋の段〜>の私訳

 秋は夕暮れ時が美しい。夕日がゆっくりと山の影に沈む頃、カラスがねぐらへ帰るために三羽、四羽、二羽などと(小さな群れで)飛んでゆく姿も 秋らしくて良い。ましてさらに美しくて立派な雁(かり・ガン※)が(奇麗に隊列を組んで)小さく見えるまで遠くへ飛んでゆくのは 本当に素敵。日没を迎えても 秋風が(ススキの穂や萩の花などを優しく)揺らす音や、(鈴虫などの)虫の鳴き声が外から聞えてくるのは (秋らしさにあふれていて)言葉もいらないほど素晴らしい。

 

※雁(かり・ガン)=大型のカモの仲間で秋が深まるとロシアのシベリア地方から日本列島へ渡ってくる。新潟県にある福島潟は雁(ガン)の仲間のオオヒシクイが飛来し、またその保護活動が展開されていることで有名。