〜 熟田津(にきたつ)に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 〜 ※
万葉集にある額田王(ぬかたのおおきみ・女性)が詠んだ和歌ですが、「月待てば」と「潮もかなひぬ」の部分が「月夜の浜辺の美しさ」を想起させるからでしょうか、今でも深く印象に残っています。そしてこの和歌の場合の「待つ」は、ただ漫然と待つのではなくて、「航海(物事)を順調に進めようとする意思」に基づいた「良い潮回り(状況)を待つという合理的な行為(願った通りに物事が進む吉事を象徴?)」だと解釈できます。
さて、動物行動学における「捕食者が(獲物を)待つ行為の意味と重要性」については、当方のフィールドワークの現場でも常に意識するテーマとなっています。定点観察地点は一級河川を含んでいるため、この秋は川辺で「アオサギ」や「チュウサギ」の捕食待機行動を良く目にします。彼らは川の流れの中でも効率的に採餌行動が取れる場所を選択していて、多くの場合「好みの指定席(待ち伏せ場所)」があるようです。そして動かずに静かに待つ(待ち伏せする)ことで、回遊(流下)してくる獲物の川魚を上手に捕えます。
またネコ(猫)も「待つという行為が大好き」な動物ですが、これも「巣穴などからネズミなどの獲物が顔を覗かせるのを、待てば待つほど、獲物を捕える期待感で嬉しくなる」との事。結果として、「上手に待つことの出来るネコ」は「首尾よく獲物にありつける」という理解だそうです。ネコはペットとしての側面と同時にどこかで野性味を残していて、野外調査でも意外なところでネコ(野良ちゃんではなく、イエネコ)と出会う事がありますが、それにしてもネコは急いだり急かされたりすることは無いのでしょうか?
そもそも現代社会を生きる私たちにとって「待つという行為の意味」は、幾許か残されているのでしょうか?毎月毎月締切に追われてばかりで余裕が無いのが実感かもしれませんが、それゆえに万葉の世界が示してくれる「月を待つ」という当時の時間感覚は大いに魅力的です。新潟でも来週の前半は満月の大潮となります。観察対象としている夜行性の野生動物の行動も活発になるかも知れません。
※私訳
「熟田津(にきたつ)の海辺から出船しようと 良い潮周りの月(夜)を待っていましたが 今がまさに海へ漕ぎ出すときです」
仮に待ったその月が満月であれば、漕ぎ出したのは大潮のタイミングだったのでしょうか?