当方の定点観察地点である守門岳南西麓の里山にツキノワグマが頻繁に出没したことから「里山のツキノワグマ」の連載が令和2年にスタートしました。その間幸運なことに自分自身もツキノワグマとばったり遭遇する事もなく、無事に調査を進めることが出来ています。この調査は当方の自由時間(出勤前の早朝や休日)に実施してきましたが、途中から新潟県警小出警察署への情報提供等もありましたので、皆様への情報還元を趣旨として連載100回を記念して「里山のツキノワグマ」についてQ&A形式で振り返ってみました。
Q1:「里山のツキノワグマ」って何ですか?
A1:明確な定義はありませんが、当方では新潟県魚沼地方の旧薪炭林で行動するツキノワグマ
を指しています。
Q2:「旧薪炭林」って何ですか?
A2:新潟県(越後の国)は江戸時代中期以降から明治時代初期まで全国の中でも有数の人口を
有していました。これは江戸幕府の農業・経済政策(米本位制)と深く関係しています。
農家は藩を通じて幕府に年貢米を供出しますが、その流通ルートに信濃川水系を利用した
こともあり、信濃川水系の魚野川沿いにある新潟県魚沼地方は「薪炭の生産が盛んになり」、
その結果集落の周囲の山々は江戸時代中期以降大規模に伐採されました。
こうした経緯で江戸時代以降から昭和30年代にかけて「薪炭生産のために伐採された歴史の
ある森」をここでは「旧薪炭林」=「里山」と呼んでいます。
Q3:江戸時代には今よりもたくさんのツキノワグマが生息していたのでは?
A3:正確な生息数は分かりませんが、魚沼市大白川地区に残る歴史文書によれば、
当時のツキノワグマの猟場は薪炭林よりも標高の高いブナ林(ほぼ原生林)であったと
判断されます。一方で江戸時代から昭和30年代までは里山にツキノワグマが生息していた
ことはほとんど無かったと思われます。江戸時代の頃はツキノワグマは大変貴重な獲物
でした。
Q4:魚沼地域では旧薪炭林はどこにありますか?
A4:川東地区では権現堂山の山頂付近(998m)までは旧薪炭林です。また広瀬谷では
鳥屋ケ峰(681m)の山頂付近まで、小出駅周辺では藤権現(233m)や駒見山(262m)
のほぼ全てが旧薪炭林に該当すると思われます。越後三山の山々は標高が高く、人里から
遠かったため、薪炭利用されたのは標高1,000mよりも下の人里近くだったと思われます。
集落の山手に「山ノ神(十二様)」が祀ってある場所の多くが、こうした旧薪炭林の
入り口でした。当時の人はここで山仕事の安全と無事を祈ったことでしょう。
Q5:「旧薪炭林」がどうしてツキノワグマと関係があるのですか?
A5:江戸時代中期から昭和30年代までは「旧薪炭林」では約20年毎に木々を伐採してきました。
コナラやナラガシワなどの樹木は「根っ子と幹の下」を残しておけば、伐採した後も切った
ところから成長し再生するため、順番に山を利用することが出来て大変便利でした。
(そのように「自然に再生される性質の樹木」で構成されるのが薪炭林です)
昭和30年代に工場や家庭で使う燃料が石油やガスに切り替わると、薪炭(たきぎや炭)
を使うことが非常に少なくなり、以降旧薪炭林は大規模には伐採されずに今に至っています。
旧薪炭林にあるコナラはツキノワグマの大好物のドングリを大量に実らせることと、
新しい森である旧薪炭林には様々な種類の樹木や植物が育っていることから、今では
ツキノワグマの新しい餌場になっています。
Q6:奥山のツキノワグマはどうなっているのですか?
A6:奥山のツキノワグマの実態についても調べていますが、浅草岳北麓で言えば標高1,000mよりも
上が奥山、守門岳南西麓で言えば標高800mよりも上が奥山であり、守門岳の北麓ではブナの
原生林(または原生的な森林)が数多くあります。このため、奥山の森林環境が優れていると
すれば「これらの山々については」「奥山のツキノワグマの生息数」は大きな変動は無いと
考えています。
Q7:ツキノワグマはこのままだと絶滅してしまうのですか?
A7:新潟県では佐渡島に生息するトキという鳥が絶滅の危機に陥りました。その後様々な人が
努力を重ね、トキを絶滅から救うことが出来ました。ツキノワグマについても絶滅して
しまわないように、様々な方が調査や保護活動を行っています。ツキノワグマのメスは、
2年毎に子熊を1頭から2頭出産しますが、こうしたツキノワグマの増え方を自然増加率と
言い、平均すると自然状態では一年間で約15%ほどの割合で増えてゆくと考えられます。
各市町村や県ではツキノワグマが絶滅しないよう取り組んでいます。
Q8:里山のツキノワグマは危険ですか?
A8:すごく難しい質問です。多くの方はツキノワグマを絶滅させたくないし、クマには山で楽しく
暮らして欲しいと思っていることでしょう。ただし、人里近くの里山で行動するクマが
人間を攻撃した場合には、警察や消防、市役所などの方と相談してクマへの対策を緊急に
行う必要があります。
人間にとってもクマにとっても、「事故が起きないこと」が何よりも大切ですから、
「里山のツキノワグマ」の実態を詳しく調査することで、クマの危険性を少なくしたいと
思っています。
Q9:里山でも奥山でも、樹木を伐採するのは自然破壊なのでは?
A9:これも難しい質問ですね。物事には二面性がありますので、どこかで良い事があっても、
その反対側では悪影響があるかも知れません。里山の利用方法については江戸時代のような
20年毎の大規模伐採が良かったのか悪かったのか、評価が難しいのですが、それでも当時の
人は「山が崩れるような抜根(根ごと引き抜く)」や「火入れ(人工的な山火事)」は避けて
いたかも知れません。その上で、一番影響の少ない「豪雪地帯に適した持続可能な方法」で
薪炭生産をしていたと思います。山への入り口に「山ノ神(十二様)」が祀ってあるのも、
江戸時代の人が「山を神様の住まう場所として大切にしてきた証」なのかも知れません。
里山の樹木を伸び放題にしておくと、イノシシやニホンジカによる農作物被害の原因とも
なりますので、里山の管理の方法として適切な樹木伐採が必要な場面は数多くあると思います。
天然資源の少ない日本列島にあって「森林は再生可能な資源」ですので、様々な方の工夫と
知恵で賢い管理と使い方(ワイズユース)が出来れば良いですね。
奥山についても自然公園法や森林法などで山の使い方を分けて、保護から活用まで様々な
視点で管理しています。野生動物についても様々な法律で保護管理されています。
Q10:イノシシのことは調べていないのですか?
A10:実はクマの調査から派生して、今ではイノシシのことも調べています。新潟県魚沼地方
では今までほとんどいなかったニホンイノシシですが、ここ数年里山で数を増やしていて
農地を荒らしたり、人間に怪我をさせることも度々起きています。
ツキノワグマとニホンイノシシは違う種類の動物ですが、その違う動物が「里山
(旧薪炭林)」という同じ場所で行動を活発化させ、生息数を増やしているように思います。
そのことの意味をこれからの調査で探ってゆきたいと考えています。
Q11:「里山のツキノワグマ」はエコミュージアムとどんな関係があるのですか?
A11:浅草山麓エコミュージアムは浅草岳の麓にあるブナの二次林(一回伐採したあとに再生
した森)にあり、今から20年前の開園以来ツキノワグマによる事故防止に取り組んで
きました。そんな背景もあって、森林の再生とツキノワグマの関係を具体的に考察できる
テーマとして「里山のツキノワグマ」の調査に取り組んでいます。
Q12:「里山のツキノワグマ」でこれから何を調べますか?
A12:もっとも重要なことは「里山でクマが冬眠しているかどうか」だと思っています。
母熊は冬眠中に子熊を生みますが、子育て中の母熊は子熊を守るために時には人間を
攻撃します。つまりツキノワグマの冬眠場所は「母熊の出産場所」でもありますし、
人間と遭遇した際には事故の原因となる「危険箇所」でもあります。
「冬眠場所」を詳しく調べることで「里山のツキノワグマの増え方」も分かると思います。
Q13:「里山のツキノワグマ」は里山で冬眠しているのですか?
A13:現在このことを調べていますが、結論はまだ出ていません。ただし、春先から人里で
ツキノワグマが目撃されたり、秋が深まって初雪が降る頃にも人里でクマが目撃されたり
している様子から、「里山で冬眠するツキノワグマ」がいても不思議ではないと思って
います。旧薪炭林にはクマが冬眠できるような穴がある大木がすごく少ないのですが、
それでも思いがけない場所に、クマの冬眠場所があるかも知れません。
これからも一生懸命里山のツキノワグマについて調査したいと思います。
Q14:ツキノワグマは毎年餌不足に苦しんでいるのですか?
A14:野生動物はそれぞれの種(しゅ)ごとに異なった生き方をしています。豪雪地帯に生息する
トウホクノウサギは冬眠しないかわりに、長い冬の間も休まず樹木の新芽や皮を食べて
います。また、ホンドギツネやテンはこうしたノウサギを追いかけて自分の食べ物にして
います。モグラや野ネズミは雪の下の地面や地中にトンネルを作って、冬でも餌を探し
続けます。どの動物にとっても必要な食べ物を確保することは生命に直結しています。
ツキノワグマは冬眠(正確には冬ごもり)という方法で冬を乗り切ります。冬眠する
哺乳類は他にヤマネやコウモリなどがいますが、ツキノワグマの場合は進化の過程で
熱収支を向上させるために体を大きくし、冬前にたくさん餌を食べて体脂肪として
必要なエネルギー源を蓄えることで、春まで冬眠する能力を獲得しました。
ツキノワグマは確かに冬眠前にはたくさんの餌が必要なのですが、多くの野生動物が
そうであるように、生き物には
「その場所に生息できる丁度良い個体数(適正なクマの生息密度)」があります。
何年かに一回のドングリの凶作は、見方によっては「自然が定めたクマの個体数の
調節機能」とも言えます。山にはクマだけでなく様々な生き物が生息していますので、
餌不足でツキノワグマがかわいそうと思っても、自分だけの気持ちや判断で餌を運んだり
、餌をあげることは絶対に止めてください。人間が与えた餌が元でツキノワグマを人里に
近づけたり、餌を運んだ場所に近づいた他の人(クマの餌がそこにあることを知らない人)
が、ツキノワグマと突然出会って大きな事故になる可能性があります。
またツキノワグマを助けるつもりの餌運びが、イノシシやニホンザルを人里へ
近づけることになってしまうと、農家の方はすごく困ってしまいます。
野生動物に関することは法律(国)や条例(都道府県や市町村)で決まっていることが
たくさんありますので、例えツキノワグマの餌不足が心配になっても、行動する前に
大学の先生や行政機関による指導・指示を必ず受けるようにしてください。
Q15:「奥山が荒廃したこと」で奥山にクマが棲めなくなり、「里山に逃げてきた」のですか?
A15:これも難しい質問ですね。回答する前に幾つか前提条件を整理する必要があるように
思います。まず「里山」と「奥山」の定義ですが、当方の調査では「旧薪炭林を里山とし」、
「旧薪炭林よりも標高が高い」、もしくは人里から遠く「ほぼ原生林の森林が存在する場所」
を「奥山」としていますので、これを前提として説明します(新潟県魚沼地域の場合)。
魚沼市大白川地区に残る歴史文書では、江戸時代の熊狩りの主要な猟場は標高1,000m前後
の奥山が中心でした。これは人里近くの山が広範囲に薪炭利用され、20年未満で伐採された
結果だと考えています。このため、当時のツキノワグマの生息地は奥山が中心でした。
それが昭和30年代に薪炭利用が大幅に減少し、里山の樹木をほとんど伐採しなくなった
ことで、ここ50年間で里山が江戸時代中期以前の(若しくはそれよりもずっと前の)姿に
戻りつつあります。里山は標高も低く豪雪地帯にあっても雪解けが早く、また一回伐採した
後に成長した(一旦リセットした)森林ですので、様々な樹木が一斉に生長を始めています。
このため、里山(旧薪炭林)にはドングリを沢山実らせるコナラに加えて、アケビやノイチゴ
、ヤマザクラの実(小さなサクランボ)など、春から秋まで様々なクマの餌が存在します。
ツキノワグマの行動圏は想像よりもずっと広く、おとなのオスのクマであれば守門岳の
頂上付近から人里近くの里山まで餌を求めて簡単に移動します。そして地図上で確認すると
明瞭ですが、守門岳のような古い火山に由来する山は裾野が広く、標高が低い里山(旧薪炭林)
の面積の方が、奥山(守門岳では標高800m以上)の面積よりも何倍も広くなっています。
ツキノワグマは単独行動を志向するほ乳類ですので、一頭一頭の個体毎の距離を確保しよう
とすると、自ずから「里山(面積の広い旧薪炭林)」に生息域が拡大すると考えています。
そして先に説明したように里山(旧薪炭林)は春から秋までクマの餌となる様々な植物などが
存在していますので、クマは益々「里山(旧薪炭林)」を利用するようになったのでは?と
考えています。また奥山には現在でもツキノワグマの生態痕跡が沢山見つかりますので、
「奥山からクマがまったく居なくなった・・とは考えにくい」ですね。
別の表現を用いれば、新潟県魚沼地方については「クマは奥山にも里山にもいる」と
考えています。
Q16:人里近くで頻繁にクマが目撃されているのは、やっぱり奥山から逃げてきたのでは?
A16:「クマが奥山から逃げてきた」という表現を自然科学に携わる研究者はほとんど用いない
ので心苦しいのですが、野生動物の行動原理からみれば「摂食行動」と「繁殖・仔育行動」
で解釈するのが妥当だと思います。更に冬眠前の秋にはクマの行動圏が拡大すると考えます。
その上で「統計情報の背後特性(情報の偏り)」にまで踏み込んで説明するとすれば、
「クマの目撃情報には必ず目撃した人間の存在がある」という事実から導き出されるのは、
「人間がいない場所では、そもそもクマの目撃情報は発生しない」という原理です。
行政がとりまとめる「クマの目撃情報」でも当然上記の原理が適用されますので、
人間の生活場所に近い里山ではその分「クマの目撃情報も多く報告される」傾向があります。
その逆に、いくらクマが山中で盛んに行動していても、その場所に人間が存在しなければ
目撃情報には成り得ません。こうした背景もあり、当方の調査では一般の目撃情報に加えて
「フィールドサイン」と呼ばれる「クマの生態痕跡」も用いてクマの生態を追っています。
Q17:奥山が荒廃したためにツキノワグマの生息地は空洞化(ドーナツ化)しているのでは?
A17:この質問についても、回答する前に幾つか前提条件を整理する必要がありますね。
まず「奥山」と「里山」の定義が曖昧であることが議論を混乱させていると思います。
当方の調査研究では「旧薪炭林(江戸時代中期から昭和30年代にかけて薪炭利用のため
一旦伐採された山)」を「里山」と定義しています(新潟県魚沼地方)。また当方では
旧薪炭林にある杉の植林地などは「里山」に含んでいます。新潟県魚沼地方は日本有数の
豪雪地帯であるため、雪害が発生する標高1,000m以上の山岳地帯にスギやヒノキを植林
することはほとんどありません。日本列島は南北に長く植生も変化に富み、各都道府県の
最高標高も大きく異なるため、「奥山」と「里山」の議論が混乱しがちなのだと思います。
「ツキノワグマの目撃情報の背後特性(情報の偏り)」については先に説明しましたが、
クマの目撃情報を地図上に表記すると、確かに「ドーナツ化」しているように思いがち
ですが、そもそも「人間がほとんど立ち入らない奥山」では、例えクマが生息・行動して
いても「クマの目撃者となる人間が非常に少ない」ために「統計情報にはなかなか上がっ
てきません」。
こうした背後特性も考慮して、当方では積雪期に奥山の雪上調査を実施しています。
具体的には守門岳の山頂付近から北方の原生林、あるいはほとんど人が入らない奥山の
森林地帯でもツキノワグマの数年分のフィールドサイン(生態痕跡)を分析しています。
調査は現在も進行中ですが、奥山でも里山でもツキノワグマの新旧様々なフィールド
サインが見つかります。
Q18:新潟県内でも人里へクマが出没していますが、クマが奥山の餌場を失ったからですか?
A18:餌資源の総量を推定するのは難しいので、当方の調査では特に「親子熊」の目撃情報と
クマのフン(糞)の内容物に注目しています。ツキノワグマの自然増加率については
先に説明しましたが、親子熊がある程度継続的に観察されるようであれば、繁殖生理上
クマの栄養状況は良好と判断することができると思います。また調査で発見されるクマの
フンはクマの餌の種類や量、更には個体間の競合(一種のナワバリ争い)の様子も反映
している可能性があり、注目しています。
例えば、昨年秋のクマの出没に際して、調査区内のフンの内容物から「豊富な資源量
を有するオニグルミを摂食している様子」が伺えましたので、当地では著しい餌不足の
状態では無いと判断しました(クマによる集落の柿の実への食害件数も平年並み)。
マスティング(植物による結実調整効果)により奥山の堅果類の餌資源が不足気味の
場合、ツキノワグマは摂食行動圏を拡大することで必要なカロリーを確保する戦略を採用
します。別の表現を用いれば、「奥山から里山までの広範囲を餌場とする作戦」です。
この過程で「普段は奥山に生息しているクマの一部」も「里山に降りてきた」と考えます。
この春には新潟県魚沼地方のブナの開花を多数確認していますので、このまま推移する
とすれば「2021年は3年ぶりのブナの結実年」となる可能性を当地では見出しています。
何れにしてもツキノワグマの餌資源に関しては継続的な調査が大切であると考えます。
Q19:ドングリが実る木をたくさん山に植えれば、クマの出没問題が解決するのでは?
A19:素直に考えると確かに解決しそうに思いますが、実際にはなかなか難しいと思います。
まず新潟県魚沼地域については標高1,000m以上の奥山には既に広大なブナ林が存在し、
このままでもツキノワグマの優れた生息環境が保たれています。また奥山よりも標高の
低い里山(旧薪炭林)ですが、実際に調査してみると明らかですが「里山」にもコナラや
アケビ、シバグリ(野生の栗)、クルミなどツキノワグマの餌資源がたくさん存在します。
新潟県ではナラ枯れによって太いミズナラやコナラが立ち枯れたこともありましたが、
比較的若い樹木はナラ枯れの影響が軽微でした。こうした条件下で新たにドングリが実る
樹木を植えた場合、実際にはその貢献度は限定的になると思います。
また近年ではイノシシの生息数が急増しており、イノシシもドングリが大好物ですので、
ツキノワグマを助けるつもりの植樹がイノシシを増やす結果になるかも知れません。また
街場や庭先のドングリを山に運ぶことも、同様にイノシシへの餌やりになる可能性が
あります。
ツキノワグマの人里への出没要因として、当方の調査ではツキノワグマの個体数と
生息密度、そしてクマの社会構造にも注目しています。結論は未だ出ていませんが、
「餌不足の解消」だけでは「クマの出没問題の解決にはならない」ように思います。
Q20:ナラ枯れで森が全滅してしまうのではと心配です。クマは大丈夫でしょうか?
A20:ナラ枯れはカシノナガキクイムシという昆虫と、この昆虫が運ぶ共生菌が原因です。
ミズナラやコナラの太い木がナラ枯れの対象となりやすいため、ナラ枯れが発生した森林
を見ると心配な気持ちになるのは良く分かります。新潟県魚沼地方でも10年ほど前から
ナラ枯れの発生を見ましたが、幸い若い樹木は影響が軽微でした。
このナラ枯れの様子もツキノワグマの調査の中で経過観察していますが、新潟県魚沼
地方は夏場の安定した日照と冬場の豪雪に代表される豊富な降水量により、急速に森林
のギャップ(ナラ枯れによって空いた空間)内で植生が更新されます。具体的には成長の
早いホオノキやコシアブラなどが最初にギャップ内に侵入し、ヤマブドウやアケビなどの
ツル性植物を伴いながら、最終的には本来の植生であるナラ類へ遷移してゆきます。
ナラ枯れは確かに大径木の枯死現象ですが、それと同時に「森の若返りのスタート」で
もあります。その過程で光環境が改善し、ヤマブドウやアケビなどツキノワグマの餌資源
も創出されますし、ナラ枯れによって生じた森林内のギャップ(間隙)はヤマネや
イヌワシなど、他の生物にとっての餌場や狩場ともなり有効に活用されます。
生物多様性の観点から見ると、台風で倒れたり寿命を迎えた倒木による森林内の
ギャップ(間隙)や、倒木自体が土壌に還ってゆく各段階で重要な役割があることが
分かります。
Q21:本当は人間がクマの住処を奪ったのでは?クマに生息地を返すべきでは?
A21:動物の立場に立って考えることは優しい気持ちの表れだと思います。また最近では、
アニマルライツ(動物の権利)という概念も徐々に認識されるようになり、野生動物
への取組みにも、こうした考えが反映され始めているように思います。
その上で科学的かつ文化人類学的に考察すれば、今から数万年前にこの日本列島に
人類が定着した背景のひとつは「野生動物を狩って、人間の食料とするため」でした。
この時点まで時計の針を戻すのであれば、我々人類は日本列島から出てゆかねばなりま
せん。しかしこの論理展開はどう考えても非現実的です。また日本の首都である東京も
江戸幕府の開闢を契機として神田の山を削り、海辺を埋め立てて開発された人工都市
ですから、ここをかつて生息していた野生動物へ返却するために人類が東京から退出し、
かつての山野や湿地へ原状回復(もとにもどすこと)させるのも無理な話です。
ツキノワグマは確かに愛らしい外見を有する側面もあり、そこに私達人類が本能的に
有する「世話行動(仔育行動)への衝動」を発動させるのは、心理学や動物行動学でも
理解しやすい機序(しくみ)だと思います。こうした「世話行動への衝動」で成り立つ
関係が愛玩動物(ペット)です。しかし、ツキノワグマは野生動物であり、人間を殺傷
することが出来る非常に力の強い動物(法律上は特定動物=猛獣の扱い)です。
子どもたちが毎日使う通学路や、農家の方が作物を育てる農地、あるいは一般市民の
方がたくさん暮らしてる住宅地にツキノワグマが出没すると、正常な社会生活を営む事
が非常に困難になります。住宅地や通学路ではクマと人間とは共存できません。社会
生活への影響は、憲法が保障する私たちの生存権に深く関わっていますので、ツキノワ
グマの出没に際しては警察・消防・市役所(対策実施隊)などの各機関が密接に連携
して対処しています。
ツキノワグマに対する切迫感や恐怖心は、実際のところ農村地域と都市部、あるいは
クマの生息自治体と非生息自治体とで大きく異なっているのかも知れませんが、各地で
ツキノワグマによる死傷者が多く発生している状況を私たちはしっかりと認識する必要
があります。
Q22:ツキノワグマのことが好きですか?
A22:正直に言えば、好きでも嫌いでもありません。特に山道では出会いたくありませんが、
新潟県の山々にツキノワグマが生息していることは、自然環境の素晴らしさを表して
いると思います。そして、ツキノワグマの攻撃で怪我をしたり、怖い思いをする人が
一人でも少なくなるように、「里山のツキノワグマ」の調査に取り組みたいと思います。