今日(2021.04.26)の新潟県魚沼地方は放射冷却の朝を迎えています。守門アメダス観測点の最低気温はマイナス0.1度まで下がり、駐車場のクルマのルーフには夜半の雨が水玉のまま凍っていました。それでも、天候は回復傾向ですので日中には春の日差しを楽しめそうです。
さて、里山のツキノワグマシリーズも99回となりました。調査はまだまだ続きますが、連載はもう少しで一区切り(100回)となります。それでもツキノワグマに関するトピックスがある時には随時このテーマで掲載予定です。そして今朝の調査ですが、人里へのクマの出没要因のひとつである「餌資源としてのオニグルミ」の現場である、石田川両岸(エコミュージアム園内ではありません)のクルミ林を巡ってきました。
<左上:昨年にはクマの出没が相次いだオニグルミの林 右上:クルミの花も咲き出しました>
<左下:里山にもブナの木がたくさんあります 右下:コゴミ(クサソテツ)も沢山見かけます>
<左:ホオノキに残るクマの古い爪痕 右:里山であっても危険箇所は沢山あります>
昨年は奥山の堅果類(いわゆるドングリの仲間)が凶作傾向ということもあってか、当地のツキノワグマは里山や人里近くのオニグルミの林に足繁く通い、多くのフンや足跡、そして目撃情報を残して行きました。栽培作物ではない自然林の堅果類を「豊作」「並作」「凶作」と評価するのもどこか無理がありますが、一般的には「凶作」という言葉には「不吉な恐ろしさ」を感じるようで、このあたりの心理も「奥山を荒らしたのは人間」「クマは悪くない」「人間はクマに謝るべき」といった言説に繋がっているようにも思えます。
ところが実際にフィールドで調査すると、上記の言説とはむしろ正反対(最近の言葉では”真逆”とも言う?)の事象が進行しています。つまり、戦後の燃料転換によって里山で薪炭を(ほとんど)生産しなくなったことで、かつての薪炭林は50年ほどの間に随分立派な森となり、ツキノワグマをはじめニホンジカやイノシシの新たな生息地(行動圏)となっています。また中山間地域の農地について言えば、国内の米余りや農家の高齢化、農機具の大型化や価格の上昇等の要因もあり、耕作条件の悪い農地は放棄され、こうした場所も「野生動物の新たな生息地(行動圏)」となっています。
里山をテーマとした国民的な人気アニメ等の影響なのか、あるいは昭和時代の高度経済成長における里山開発や森林伐採の記憶もあってか、都市部のシニア層を中心に「人間がクマの生息地を奪った」という意識が今でも強く残っているようですが、令和時代のツキノワグマから見れば(特に新潟県魚沼地方では)現状は「人間がどんどんクマの餌場や生息地を増やしてくれている」というように映るのではないでしょうか。
今回調査したオニグルミの林は、ツキノワグマが奥山と里山、人里とを行き来するコリドール(回廊)です。そしておそらく何年か後の「奥山における堅果類の凶作年(豊凶サイクル=マスティング)」には再び「ツキノワグマの目撃多発地点」となる事でしょう。地元の方が朝晩の散歩やランニング、あるいは農作業や山菜取りの際に何気なく使う道ですが、人里に接したこの道がオニグルミ(クマの御馳走)の林に沿っていることを多くの方は意識していません。正に「里山の死角」です。「クマは悪くない」はある面では確かにその通りなのかも知れませんが、「人間と野生動物の善悪を判定する前に」私たちは「もっともっとツキノワグマのことを知る必要がある」と思います。