今朝(2020.10.06)も里山エリア(エコミュージアム園内ではありません)の早朝定点観察を行いました。守門アメダス観測点における最低気温は11.3度となり、朝晩はずいぶん肌寒くなりました。こうなるとフィールドの野生動物の動きも冬を前にした積極的な採食モードとなります。
<朝霧が流れる里山エリアの様子はまるでターナーの絵画のようです(言い過ぎ?)>
<里山エリアにある柴栗(野生の栗)を様々な野生動物が採食します>
<刈り取りが終わった水田の畦をホンドギツネが駆け抜けてゆきます。右の写真はキツネの部分を拡大しました>
新潟県魚沼地方は、日本一の大河である「信濃川」とその大支流である「魚野川」を有していることから、江戸時代に徳川幕府がすすめた「新田開発」により人口増加が顕著であった越後平野の下流の村々に河川の舟運を用いて沢山の薪炭を供給してきました。そして、魚沼地方の集落の周りの山々の多くは薪炭林として「概ね20年未満のサイクルで伐採が続き」、「集落間で山争いが起きるほど頻繁に伐採され」、その結果として標高600mほどの魚沼丘陵は「丸刈り状態」となり、またツキノワグマの基盤生息域である越後山脈の山々も集落に薪炭が供給可能な範囲で広く薪炭利用されてきました。
このため、旧入広瀬村教育委員会が昭和59年に制作した教育映画「熊狩りの記録」が示す通り、新潟県魚沼地方においては「昭和50年代までのツキノワグマの主要生息域は標高800m以上のブナ天然林エリア」に限られていたようです。ところが、戦後の燃料転換により成長を続ける旧薪炭林(里山)の多様な樹種とこれを背景とした豊富なエサ資源の出現により、現在の令和時代では「里山のツキノワグマ」が出現し、「ツキノワグマによる市街地での人身事故の発生」も含めて様々な獣害問題の一因となっています。
<昭和30年代に農村の燃料が薪炭から灯油やプロパンガスに切り替わってから、新潟県魚沼地方の旧薪炭林は伐採されず50年以上成長を続けています>
<雪消えが早く多様な植生を有する”人里に接した旧薪炭林の森”には、ツキノワグマを養う様々なエサ資源があります>
ツキノワグマは本州の森林生態系の頂点に位置する「森林性の大型野生動物(頂点捕食者)」です。多様な植生を有する森林(旧薪炭林)が人里近くに生じたならば、ツキノワグマが人里近くに出没するのも必然とも言えます。そして今私たちが観察を続けている里山エリアは「江戸時代以前の姿に戻りつつある森(伐採されない旧薪炭林)」なのかも知れません。